題名 ・・・・・ 『 芽ざめる 』
寸法 ・・・・・ 高さ155×幅87×奥行き55.5(Cm)
材質 ・・・・・ インド産黒御影石、伊達冠石、木・鉄台座
(制作年・・・・・ 2008.4)
作品制作の意図(思い)
『「生きる」ということ
「自分自身の生を見つめる」ということを
虚と実の対比によって考えてみたいと思い
この作品をつくりました。
私は、これまで、自分のものの見方・感じ方として
長所と短所、陰と陽というように
常にモノ・コトの両側面を同時に意識してきました。
それは私が、モノ・コトの本質や真実といういうものは
きっと簡単に直感的につかむことが難しいものなのではないか
と感じてきたからなのです。
仮に、直感的にピンと来ることがあっても
本当にそれを簡単に、本質をつかむことができたと
決めて込んでしまっていいのか・・・と
どこか、考えてしまうところがありました。
そのために、私はいつも、あらゆるモノ・コト
出来事について、よい面とそうでない面の両方を見つめ
そのバランスの中に、本質や真実、そしてコア(核)を
見いだそうとしてきたのかもしれません。
私はこれまで、植物の種子を
生命が充填されたカプセルとしてとらえ
たくさんのシリーズ作品を制作してきました。
生命という、かたちあるものに宿っていて
単純にそれだけ取り出すことができないようなモノ・コトを
彫刻の「量感と空間」「虚と実の空間」で表現することによって
見て下さる方と感覚・感動を共有できるように試み続けてきました。
もっとわかりやすく言うならば、彫刻によって
見えないモノを見えるようにする試みを
続けてきたということです。
制作することによって
生きていることの実感、リアリティーを私自身が感じ
また作品を見てくださる方々とその感覚・感動を共有し
より深めていきたい、という強い思いがありました。
こんな風に生命という、感じられるけれど
それだけを取り出して見ることのできないモノを
目に見えるように、より強く実感できるように
表現することを続けながらも
私はなぜか自分自身にどこかよるべの無さを感じ続けていました。
この作品は、そんな私自身への問いかけとして制作しました。
この二点一対の作品で
一方はかたちの中に宿る生命を空間として内包しており
対するもう一方は、その空間に呼応するように、
生命を実体として表現しました。
両者が並立することで、合わせ鏡のような
共鳴、呼応するかたちを提示してみたいと考えました。
モノ・コトの両面を
同時に見つめるという意識を提示するということ。
本当は、簡単にはわからないことについて
自分で考えた末の答えを無理に提示しようとするのではなく
わからなさそのものを、素直に問題提起することを
この制作で、初めて自分に許したということが
制作者としての私自身の目覚め」だったと感じています。
制作を通して、頭・心・手で考え
それでもなお簡単に答えは出ませんが
見て下さる方々には、ご自身の「生」というもの、
とても素晴らしく
そしてまた不可思議なものに向き合う
非日常的な感覚、時間をともに味わって頂けたなら
私はとても嬉しいと思います。』